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7月 13, 2018

10番目の感傷(点・線・面)
【結線 -電子部品とアートをつなぐ- (1)】

KYO-SHITSUColumnsのURLが変更になりました。こちらを御覧ください。

システムアーティストのひつじさんは、電子部品をいけばなのように活けるプロジェクト『活線』を定期的にSNSで発表しています。ひとつひとつの部品が持つ機能がより活きるよう、台座に組み上げられた作品群からは、電子部品へのひつじさんの「情」が感じられます。本シリーズでは、彼がプロジェクトで用いた電子部品を毎回ひとつピックアップし、それが使われている様々な国内外のアート作品ご紹介します。

こんにちは。ひつじです。

突然ですが皆さん、電子部品は好きでしょうか?こんなことを聞かれても、別に好きでも嫌いでもないという方が大半だと思います。

質問を変えましょう。今まで生きてきた中で、間接的にでも電子部品を使ったことはあるでしょうか?

これについては、ほぼ100%の人が「ある」と答えるのではないでしょうか。いまの時代、日本にいて、電子機器に頼らず生活することは難しいと思います。それに、このコラムはWebメディアに掲載されるものなので、この文章を読もうとすれば必然的にPCやスマホのような電子デバイスを利用する必要があります。

私はというと、やはり電子部品に頼りきった生活をしています。日々の暮らしもそうですし、フリーランスのエンジニアとして開発業務に携わっているので、常にコンピュータや様々なデバイスに触れています。小さいパーツが集まって様々な問題を解決してくれている様は魅力的で、仕事柄自分で回路等を作る事もあり、人並み以上に高い関心を持っています。

そんな電子部品好きが高じて、今私は『活線』というシリーズ名の作品を制作しています。

特定の電子部品にフォーカスし、実際に動作する回路を「活ける」という作品で、Instagram(@kassen_project)に毎週ひとつずつ作品をアップロードしています。

電子回路の実装は「はんだ付け」と呼ばれる溶着作業によって行われます。その「はんだ付け」する行為を表現として昇華できないかと考えたときに、いけばなの形式を模してみようと試みて始めたものでした。現在は「技術との対話」を主題に、自分の生活を支えてくれている様々な電子部品について、深く考えるための一種の儀式のようなものとして、このプロジェクトを続けています。

作品と部品を、線でつなぐ。

ちょうどこの作品を作り始めた時期に、ライブパフォーマンスやVJ演出で何度も参加させてもらっているKYO-SHITSUからコラムの執筆をお誘いいただきました。

私は美術大学の大学院を卒業してから6年ほど、広告のためのデバイスや商業施設のためのインタラクティブなソフトウェアなど、表現が関わる開発の業務に六年ほど従事しています。

 

Visible Motion | TAKT PROJECT (2017・ミラノデザインウィーク)
磁性流体を使った”自動車の気配”を感じさせるインスタレーション。自走デバイスを同期して走行させるための、制御プログラムを開発実装しています。

表現全体のディレクションよりは、目標をいかに実現するかという作業の経験が多いので、エンジニアリング的な視点からアート作品に使われるテクノロジーについて言及するのはどうだろうか……という事を考えてみました。しかし美術作品について技術的要素を事細かに解剖していくというのは、ともすればいささか野暮かなと日頃思っています。そこで本稿では、自分と同じ部品を扱った作品を取り上げて、それを使うに至った作者の考えや時代背景について考察しようと考えました。

同じ作品を作って手を動かす者として、少し変わった視点から作品を捉えることで新たな思索の広がりが生まれるのではないかと期待しています。ここからは私が今まで活けた部品について触れた後、その部品が使われた作品を一つご紹介していこうと思っています。

小さくてもパワフルな発光素子「LED」

今回の「活線」は、LEDこと、発光ダイオードです。基板の中心から伸びるプラスマイナスの導線を、円形に配しました。

発光ダイオードは、照明・表示機器としての実用性はもちろんですが、電子工作においても入門としてLEDをチカチカと光らせる「Lチカ」という言葉があるくらい、定番の部品になっています。

60年代に初めて赤色のLEDが発明され、その後緑・青色のLEDが発明されました。青色LEDを日本の研究チームが開発し、ノーベル物理学賞を3名の日本人が受賞した事をご存知な方も多いと思います。

LEDは、それまでの照明とくらべ非常に高い効率で発光することができます。白熱電球のような照明は、流れた電気の多くを熱として消費してしまうので余計な電気を使ってしまうのですが、LEDはより多くの電気を光として使ってくれます。そのため少ないエネルギーで明るく照らすことができますし、こもる熱量が少ないので、電光掲示板のように光源を密集させて映像機器として用いることが可能になりました。

また、それまで小さな光源というと豆電球や麦球と呼ばれる電球が主流でしたが、これらはフィラメントと呼ばれる線を、アルゴンやハロゲンといったガスを封入したガラスの中に閉じ込める構造のため小ささに限界がありました。一方でLEDは半導体と呼ばれる素子を樹脂で固めているので、小さいもので発光面が1㎟に満たないものもあります。使用する材質が変わったことで、ほぼ「点」に近い光源を作り出す事が可能になりました。

「点」光源から生まれる影の映像インスタレーション『10番目の感傷(点・線・面)』

そんな限りなく「点」に近い光源であるLEDを使った作品の中で、私がまず一番最初に思い浮かべるのは、クワクボリョウタ氏の『10番目の感傷(点・線・面)』というインスタレーション作品です。

展示空間には、洗濯ばさみや色鉛筆といった日用品をはじめとする小さなオブジェクトがまるで模型の街を形作るように並べられています。このオブジェクトは作品が巡回した展示会場ごとに配置や種類が変わっており、それぞれ違った景色を見ることができます。

そして配置されたオブジェクトの間を、鉄道模型が先頭にLEDを載せてゆっくりと進んでいきます。点光源に照らされたオブジェクトは、その光線の行く先を遮り展示空間を囲っているホワイトキューブに影の面を作ります。影は光源側から見た景色と相似形になっていて、あたかも自分達が鉄道模型に乗り込んだかのような没入感を得ることができます。

本作品解説の中では、影が動き出す様子を『映像』と表現しています。まさに鉄道模型自体が映像の再生装置として機能しており、線路はまるで映像プレイヤーのシークバーのようです。そして光源であるLEDは、任意の時間をポインティングするデバイスとして、役割を担っています。

同じようで少し違う、LEDによって照らされた景色

私達が生活している空間でも、照明機器が白熱電球や蛍光灯など従来の物からLEDへと置き換わっています。特に2011年以降、世間で省電力化に対する意識が高まってくると、その流れはどんどん加速していきました。

電球や蛍光灯の形を模した照明用LEDも多く流通していて、意識しなければLEDに入れ替わったと気づかない事も多いでしょう。しかし、従来の明かりに似せてできたLEDで照らされる景色は、同じようでどこか違った印象を抱く方も多いのではないでしょうか。

『10番目の感傷(点・線・面)』の展示空間に置かれているオブジェクトはどれも日常で見慣れたものばかりですが、壁一面に流れる影のフォルムは見慣れているようでどこか新鮮な、既視感と未視感が重なり合う不思議な光景です。

光源が電車に揺られて進んでいく様をじっと見ていると、テクノロジーの進展によって過去の風景とこれからの風景が重なり合って見えてきます。『10番目の感傷(点・線・面)』は、そんな時代背景をも投影しているような不思議なシンパシーを感じる作品です。

PROFILE

ひつじ 
1989年生まれ、システムアーティスト。多摩美術大学大学院 デザイン専攻情報デザイン研究領域 修了。コンピュータを用いた表現に関わる広告や商業施設の開発業務に携わる傍ら、「システムと表層の反転」を主題とした表現活動を行う
活線プロジェクト / Live wire project

FOOTNOTES

クワクボリョウタ
メディアアーティスト。『10番目の感傷(点・線・面)』で2010年の第14回文化庁メディア芸術祭 アート部門優秀賞および芸術選奨新人賞(メディア芸術部門)を受賞。 公式サイト